JSDCの誕生


「ニューヨークに住む日本人に社交ダンスを教えてみたら」

当時ニューヨークに住むヨシ矢野(JSDC代表)に、そんな言葉を掛けたのがピエール・デュレイン。

社交ダンスの聖地、英国ブラック・プールの大会で4年連続チャンピオンとなった社交ダンス界の第一人者です。

これがきっかけで、JSDCニューヨーク支部が1995年にスタートしました。

ピエール・デュレインとの出会い

ヨシ矢野とピエールの出会いは、1980年代。ヨシ矢野がアメリカで唯一の社交ダンスカンパニー「アメリカンボールルームシアター」の団員オーディションに合格した時にさかのぼります。

ピエール・デュレインが主宰者として率いるこのダンスグループにて、ヨシ矢野は、モダン、ラテン、シアターアーツなど、あらゆるペアダンスのトレーニングを受け、その後、アメリカンボールルームシアター団員として世界各国を公演で周りました。

NYのステージはもちろん、カリブ海クルーズなど、世界中のペアダンスファンを喜ばせるこの一団は世界でも有名になりました。 

写真(上)は左からヨシ矢野、ヤヤ・ダコスタ(女優)、ピエール・デュレイン。ピエールの半生を綴った映画「レッスン!」(1997)のPR来日の際に再会。

JSDCニューヨーク

アメリカンボールルームシアターの活動が一段落した頃、ピエールがマンハッタンに社交ダンススタジオをオープン。ヨシ矢野もそのスタジオ講師としてたくさんの生徒を担当します。

そして、ピエールからの提案「NY在住の日本人に社交ダンスを教える」ことも、ほぼ同時に始まりました。

ピエールのパートナーである、イバン・マーソーがアシスタントを買って出てくれ、JSDCニューヨークはスタートしました。

パーティなどでダンスを踊る機会が多いせいか、日本に比べてダンスを身近に感じられるアメリカ、特に芸術・文化が発達したニューヨークでは、そこに住む日本人の方もダンス好きが多いです。

写真(右)は、ヨシ矢野(写真先頭)がデモンストレーションダンサーとして出席した、アメリカとオーストリアのチャリティー親善パーティからの一枚。

そして日本へ

そして2003年、今度は日本に住む日本人の皆さんにペアダンスの楽しさをお伝えするために、23年のアメリカ生活を終えて帰国。現在に至っています。

これからも、皆さんの応援に支えられながら活動を続けて行く予定です。

よろしくお願いいたします。