ピエール・デュレインとの出会い③

クラスが始まって一年が経ちました。

試験も終わり、ピエールは私に「ニューヨークに住む日系人の人達にダンスを教えてみては」と提案してくれました。

私はそれまでタップダンスしか教える経験がなかったので、とても不安でしたが、ピエールのパートナーであるイバン(Yvonne先生)が手伝ってくれることになり、JSDCニューヨークの発足となりました。

同じ時期に、アメリカンボールルームシアター(ABrT)のオフィスに呼ばれ、ABrTの団員として踊ってみないかという誘いが、ピエールとイバンからありました。

願ってもないこと、社交ダンスのマスター達と一緒にパフォーマンスが出来る!嬉しさと不安が入り混じっていました。

でも私の中では、勉強が出来る!という思いが一番でした。

そのABrTで誘いがあった直後に、私の頭に浮かんだ(想像した)のは、新聞Back Stageに掲載された私の写真でした。

これは、ニューヨーク中のショービジネスの雇用や公演情報、そして批評(厳しくて有名です)が、ギッシリの毎週発行の新聞です。このBack StageDanceのページの批評の欄に、私の踊っている写真が掲載されているのが、何故か頭にはっきりと浮かんだのでした。そしてそれが後になって実現したのです。